CATEGORY | 滋賀
2021.05.20
writer | シガだね編集部
今回私たちは、面白いレモンがあるとお聞きし、
愛荘町にある『ラチーノ農園』さんにお邪魔して来ました。
その名も『ジャンボレモン』。
通常レモンの4倍以上の大きさで、初見ではレモンだと気づきません。笑
今日はそんな面白い品種を育てるラチーノ農園の代表、山本晴夫さんにお話を聞いてきました。
そもそも皆さん、レモンの生り方って知ってますか?
レモンは、蕾ができて、白い花が咲き、その後にレモンの実が出来るんです。
下の写真がレモンの花ですが、これが大きなレモンになると思うと興味深いですよね!
初めの実ができてから三年は、そのできた実を繰り返し落とし、木に栄養を集中させるんだそうです。
収穫が可能になってからの年間スケジュールも同じように、
木に栄養を与える時期が一定の間(5月下旬〜8月)必要になってくるそうです。
そして、夏のイメージが強いレモンですが、本当の旬は冬。
何といってもレモンは酸味が強いので
保存性が高く、このジャンボレモンも冷蔵庫で”半年”保つそうです。
その保存性の高さ故、その実を保存しておくのは意外と容易なこと。
色や弾ける果汁から夏を想像するのは自然なことかもしれませんね!笑
レモンの葉っぱからもとっても爽やかな香りが。まさに天然の香水です。
ちなみに、この匂いは胸の悪い人にとても良く、肺を綺麗にする効果があるみたいです!
ここまで香りがしっかりしていると料理などの香りづけにも利用できるため、
こぞってうちの料理人たちが頂いていました。笑
ここで育つ食材はもちろんレモンだけではありません。面白いラインナップが揃います!
そして、その全てが完全無農薬の自然栽培。始めた当初は、食材たちが病気にかかることも多かったそうですが、20年たった今ではめっきり減ったそうです。努力の賜物!
ラインナップはご覧の通り。
・ジャンボレモン
・食用ナイアガラ
・梨
・ニラ
・いちぢく
・オレンジ
・ライム
・すだち
・ローリエ
・ハヤトウリ
・ほっくりかぼちゃ
・ケール
・ビーツ
・ルッコラ
その中で、ケール、ビーツ、ルッコラはブラジルで主流の野菜達。
特にこの3つは他の品種に比べて栽培量も多く、年中収穫が可能です。
この理由は後ほど!
ラチーノ農園の始まりは、遡ること約20年前。もともとはバラ園だったこのハウスを
一から再生し、スタートさせたそうです。
そして、さらに遡ること30年前、山本さんが13歳の頃。
そこに山本さんのルーツがありました。
この仕事に就く前のこと、農業を始めた経緯…
山本さんの70年間を形成する数々のストーリーを綴りたいと思います。
13歳の時、海外好きの父親に誘われブラジルに移住、そこから32年間!ブラジルでの生活を送ることに。
移住先で学生、社会人を経験し、バリバリの商社マンとして活躍されていたそうです。
そして、35歳の時ブラジルで父親を亡くし、
一人残された山本さんはこれを機に母親のいる日本への帰国を決意。
日本に帰ってきてまもなくして、学院を設立。
実は山本さん、今も残る”ラチーノ学院”の創設者!
(今は、頼れる後輩へとバトンが繋がれています。)
ラチーノ学院の生徒達は主に在日外国人で、
お世話になった第二の故郷へ、恩返しの意味を込めて学校を設立。
『 ブラジルには本当にお世話になった。』
そう話す山本さんは、そこに
先生を集め子供達に教養を、住居を、食べ物を与え、彼らの集える場所を提供しました。
そして、ちょうどその頃(2000年)日本では中国の農薬問題がとても話題になり、
山本さんはそのニュースにかなりの衝撃を受けたそうです。
“ こんな危険なものを子供たちに食べさせているのか!
何としてでも、学校の生徒達に安全で安心な食材を食べさせてあげたい。”
このニュースが農業を始める直接的なきっかけとなり、ラチーノ農園が始まりました。
(⚠︎先ほどお話しした、ケール、ビーツ、ルッコラのラインナップは
ここに通う日系外国人の子供達のため。)
そして、そのハウスの再生に協力したのが、学院設立当初に通っていたOB.OGの生徒達なんだそうです。彼らを呼び集め、彼らに働く場所も与えると言う素晴らしい循環っぷり。
今も尚、ここで働くパートさんは日経の方々が多いそうです。
思い出話を交えながら、楽しそうに再生時の話を聞かせてくださいました。
農業に関して、全く知識のなかった山本さんは
その当時休校日の土日を利用し、四国まで農業修行へも行かれていたそうです。
山奥の小屋で、水の調達、土壌の改良、小屋の整備など…
全ての工程をたった1人で行い、自給自足生活を体験。
自分の苦労を惜しまず、他人のために尽くせる、本当に慈悲深いお方でした。
第二の故郷 ”ブラジル” を基に形成される、山本さんの人生。
まるで、書籍化できそうなストーリーの数々でした。
『1つのものに集中してやっているとそこに枝葉が出てくるんですよ。
こう言う仕事はできないのだろうか。こう言うことをやってみようか。
そう言う風にどんどん可能性が広がって行くんです。』
山本さんの一言一言には、すごく重みがあって、その言葉の背景には必ずその経験や苦労がありました。
与えられた時間の中で、
その時間をどう使うか、そして役目をどう果たすか。それを決めるのは自分以外の何者でもありません。
『誰かのために、何かのために。』
このシガだねを通して、そんな素敵な役割が果たしたいと強く思いました。
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2021.05.20 writer | シガだね編集部